お前の配信つまらなくなったよな

無職になってから5か月と3日が過ぎた。名実ともに立派なニートである。

仕事をやめて3日ほどたってから、Youtubeでいくらか数字を稼げればいいなと思い、Youtubeをしっかりと始めた。

動画の編集や投稿、伸びていかない数字を眺めながら、いろいろやった結果、たどり着いたのが生放送である。雑談放送だ。

 

ただ画面にぽつんと僕の姿を映し、マイクに向かって適当に何時間かしゃべり続けるのを繰り返すだけ。

動画編集やゲームの生放送は大変だったが、この雑談の放送はなかなか楽しいので、のんびり続けた。

開始当初は一か月で100人ほど登録者数が伸び、ペースよく上がっていった時期もあった。

しかし、最終的に350人ほどで止まった。

 

昨日、読書をする姿を配信していた。

配信を開きながら読書すれば、集中できるからだ。

本を読みつつ、たまに来るコメントに返す。自分が本に集中するための配信である。

 

そんななか、結構勢いよく登録者数が伸びていたころ、よく見てくれていた視聴者が、たまたまきて、こんなコメントを置いていった。

コメント:「チャンネル登録者の伸び、止まったね、正直、前の方がおもしろかった」

ツイちゃん:「たしかに面白くなくなったと思う。読書の姿を見させられて、見てくれている人は何が楽しいのだろうか。でも、僕は楽しい。」

 

Youtubeの運用を始めた当初は、数字を伸ばしたい! という強いモチベーションを持っていた。

生放送で、「将来10万人くらいの登録者を得る」と豪語し、徹底的なビックマウスを貫いていた。

「できない、無理だ」というコメントが来れば、「お前には無理だろう、僕にはできる」と返した。

少なくとも、そういう野望的なことを言っているのはけっこう楽しかったし、見てくれている人も楽しんでくれていた。

 

ただ、大言壮語に少々疲れたのである。

(大言壮語:たいげんそうご、実力以上に大きなことを言うこと)

 

精神的な調子がいいときは、野望に満ちた言葉を並べるのは簡単であった。

しかし、波が落ちると、自分の口から出る言葉と、心の中とギャップが生じてくる。

 

Youtubeでは、見てくれている人からの、「夢と野望に満ちたツイちゃん」の客観的な一貫性を保つ必要があった。

それは僕には難しかったのだろう。

 

僕には選択肢が二つある。

  1. 動画で「夢と野望に満ちたツイちゃん」を提供する。動画であれば、10分ほどのコンテンツを作ればいい。
  2. ダラダラと自分の好きなことだけを並べた生放送を続ける。

僕は2を選んだ。

 

「自己満足で誰かが幸せになればラッキー」

という言葉を、誰かが言っていた。有名な手相の占い師だったっけ?

僕はこのスタンスでネットの活動を続けていこうと思う。

 

僕がインターネット、生放送で今後やるのは、徹底した自己満足的な行為だ。

僕が楽しいと思うことを適当にやる。腐葉土を並べるのが楽しいのならそれを飽きるまで配信する。

それは多分、多くの見てくれる人にとってはつまらないだろう。

 

でも僕は楽しい。

だから続けられる。

続けていれば、そのうちなんかあるかもしれないし、多分ないだろうけど、僕が楽しいことに違いない。

 

Youtubeで伸びている人は、人のために行動できる人たちなんだろうなあと思う。

「自分の動画を見て喜んでくれる人がいてうれしい!」というモチベーションがあって、見てくれる人のための動画・生放送を視聴者に提供している。

彼らには勝てない。彼らの真似はできない。だって彼らは見てくれる人のためにコンテンツを作っていて、僕は自分のためにコンテンツを作っているからだ。

 

めちゃくちゃ頑張れば、もしかしたら、見てくれる人のためのコンテンツを、一個くらいは作れるかもしれない。

でも続かない。自分がおもしろく感じないことを続けるのは難しい。それでお金がもらえるとしても、どうだろう? わからない。

僕が続けられるのは、自己満足的な行為だけだ。うーむ、むずかしいものである。

 

ほそぼそと、自分を楽しませるために、Youtubeは続けていく。