それは私の感想といえるのか

生放送中に視聴者の”わをんさん”から勧められ、「コンビニ人間」を読んだ。36歳の女性コンビニ店員を描いた作品である。

 

あらすじは、死んだ小鳥を家族と一緒に食べようとしたり、喧嘩する男子を止めようとスコップで殴りつけたり、怒る女性の先生のスカートをパンツごと引きずりおろすような異常者である主人公。彼女が、18歳で道に迷いつつコンビニのオープニングスタッフとして店舗を見つけ、そして36歳まで勤め続けたのだったか。

白羽という男が店にアルバイトとしてやってくるが、仕事はできず、店員や女性客にストーカーした結果退職。縄文時代の例え。その後、ビルで待ち伏せしていた白羽を主人公が自分のアパートの風呂に住まわせる。

コンビニで白羽と同棲していると口を滑らせた主人公は、周りがコンビニの業務から自分たちのゴシップに関心を持ち、コンビニという歯車が違うものに変質していく感覚を得る。退職する。白羽は主人公に求人を受けさせる。採用面接に向かう途中、コンビニに入るとコンビニの声が聞こえ、白羽が止めるのも振り切り、主人公は面接の準備を進める。こんな話だったか。

 

感想:不気味・難しい・よくわからない・社会からの排除って怖いなあ

これだけ。だめだ。感想がでてこない。よくわからない何かを読みました。不気味でした。これだけしか言葉が出てこない。読み終えてから5分しかたっていないのに、登場人物の名前が思い出せない。ええと、男が白羽だっけ?(違うかも、思い出せない)

 

次に、小説本文の後ろにある、解説を読んだ。誰が書いたのか忘れたが、おそらく文学の偉い人が書いたやつ。コンビニ店員と主人公の人間としての五感の表現がすごい。コンビニ店員としての五感(雨が降るから傘とか)の表現の濃さと、人間としての表現の薄さが一致しているのが類まれなる才能。

 

なるほどなぁ。よくわからない。よくわからないことがわかった。

今まで小説は何個か読んできたと思うが、こうしてしっかりと感想を書こうとしたことはなかった。そして書いてみて気づいた。僕は小説を読めていなかったらしい。

この文章は、読み終えてから20分ほどたってから書いている。たかだかそれくらいの時間しか過ぎていないのに、僕の記憶から登場人物のほぼ全ての名前の記憶が抜け落ちていて、得られた感想は「不気味で気持ちが悪かった」とくれば、僕は何を読んだのかさっぱりわからない。

 

この後、僕は「コンビニ店員 感想」とGoogleで調べる。そして調べて出てきた感想を読み、「そうそう、それだったんだよ!」というよくわからない納得感を抱き、他人の意見の納得感を自分の意見と思い込み、それを得意げに配信で伝えるのだと思う。僕の感想はどこにいったんだろう? ただ、不気味で気持ちが悪かったです! という一文だけしか得られないものなのか?

読書感想文。小中学生時代から久しく書いていない、そんな人も多いと思う。このブログは1200文字ほど、原稿用紙で3枚ほどだ。書いてみて理解した。僕は、自分は本を読むことができると思っていたようだが、他人の感想を自分のものだと思い込んでいただけで。本ではなく、他人の感想を読んで、感じていただけなのかもしれない。

今までもこれからも空っぽ。

 

ー10分後追記ー

いや違う、違う。空っぽじゃなくて、空っぽであることに気づけるということなのではないか?

作中で、主人公は何度も周りの意見に合わせていることが強調されていた。周りに合わせた服装やバッグ、話し方。自分のやりたいことはなく、周りの文化を吸収して、合わせて、異物とみられないように演じていた。

コンビニ人間を読むと、「自分の意見は本当に自分の意見なのか?」ということを見つめなおさせられる。読後、こうして感想を書いていると、本当にこれは自分から発生した意見なのか? あの主人公が周りと合わせるためだけに周りの文化を吸収していったように、僕も誰かの感想を読み、誰かの感想を自分の感想だと思い込み、誰かの言葉の衣を着て、そうしてお前は自分を着飾ろうとしているのではないか? 本が突き付けてくる。

僕のコンビニ人間の感想は、「自分の意見が自分の意見なのか、他人の意見を自分に貼り付けているのか、考えさせられる」というものとなる。

 

これで中身がありそうな感想が書けた。安心してほかの人の感想を読みに行ける。でも、ほかの人の感想を読んだ後、この感想はきっと変わるんだろう。ほかの人が感じたことを、自分が感じたことのように錯覚して、この感想はきっと塗り替えられてしまう。だから今ブログに書いたんだ。