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ツイちゃん
twichan
群馬県前橋市在住、22歳の男性。
2021年1月にADHDと診断された。
障害者雇用で働きつつ、Youtubeとか投資とかいろいろやってます。

友人「もし明日死んだら、貯金がもったいなかったなあと思わないの?」

小説に影響されてそういう文章書きたくなった。書く。

お盆休みも終わりに近づいて、お昼ごろ、友人と食事に行った。
シャンゴというパスタ屋で、僕はトンカツが乗ったシャンゴ風パスタを食べた。ミソが一切入っていない甘ミソ味のソースがたっぷりとかけられているパスタである。うまかった。

「ところでさ、君、貯金をしたまま死んだらもったいないと思わないかね?」
と友人が聞いてきた。
「思わない、どうしてだ?」
と僕は答えた。
「例えばさ、君は260万円くらいの貯金を持っているじゃないか」
どうでもいいことだが、なぜ友人が僕の資産の総額を把握しているのかというと、彼に僕の家計簿アプリを見せたことがあるからだ。僕は友人に、家計簿をつけることを押しつけがましく勧めていて、その際に例としてアプリを見せた。だから、友人は僕の貯金をなんとなく把握している。
「そうだね、260万円くらい持っている。クレジットカードで10万円くらいの未払いはあるけれど」
「そうだよな。そして君は明日死んだらこう思うわけだ。ああ、俺の260万円! もったいない! 死ぬ前に全部使っておけばよかったのに!!!
友人はおどけつつそう言った。
「いや、思わないが」
僕はそう答えた。別に死ぬときに貯金の残高がいくらだろうが、どうでもいいことだと思う。

周りを見ているとこう感じる。お金を使うと幸せになれると思っている人が多い。そして、お金を節約することは大変なことだと思っている人も多い。
例えば、手元に3万円あったら、欲しい洋服を買ったり、旅行に行ったりして使ってしまう方が幸せだとみんなが思っているような感じがする。3万円を銀行口座に放り込むことは我慢と忍耐が必要で、将来的には得をするけれど、今この瞬間は不快な気持ちになると、周りがそう考えているように見えるのだ。

彼らを見て、僕は、うらやましいなあと思った。
35年間のローンを組んで家を建てたり、5年ローンでトヨタのSUVを買ったり、リボ払いでブランドバッグを買ったりできる、僕の頭の中の普通の彼ら。貯金は最小限で、お金を消費に割り振って経済を回す彼ら。皮肉でもなんでもなく、僕は彼らのことがうらやましい。

彼らは、未来の自分を信用できているのだ。
彼らは明日の自分を信じられるのだ。きっと明日の自分は健康で、精神も整っている。朝起きて、会社に行って働く。家に帰って眠る。これがずっと続くことを確信している。
だから貯金なんてしなくていいし、収入に見合ったローンも組める。なぜか、明日の自分がきっと働いてお金を稼いでくれると確信しているから。

一方で僕にはその確信がない。僕は18で社会に出てから、2回ほど自分の社会的な立場を衝動的に壊してしまった。一社目では、勝手に一人でストレスを抱え込み、精神病を発症してヒステリーを起こした。職場の工具でぶっ壊した自分のスマートフォンと、ほぼほぼ怪文書の書き置きをデスクの上に置いて、真昼間に会社から逃げ出し、そのまま消えるということをやらかした。二社目では、上司とちょっとしたトラブルがあったその日の休憩時間中、勢いに任せて労働組合を雇ってしまった。退職交渉を任せて、休憩時間中に仕事を辞めた。どちらも計画なんて練ってない、その日のうちに思い付きやってしまったことだ。クズだなあと書いていて改めて思った。

さて、僕は未来の自分を信用できない。
今日は元気だ。会社の仕事の練習になる動画編集もやったし、Adobeのソフトの練習もした。でも明日は? おそらく元気だ。一週間後は? たぶん元気だ。一か月後は? わからない。一か月後の自分の状態を元気だと、確信をもって言うことができない。
だからお金を貯めこむ。今までの例を振り返って、いきなり自分の頭がおかしくなってしまうことは十分に考えられる。おかしくなってしまってから、元の状態に戻すのにはある程度の期間が必要だ。その期間を確保するために、現金でお金を用意しておく必要がある。だって、「いきなり癇癪を起こして社会的立場を失ってしまった人向け保険」なんて存在しないからだ。おかしくなった僕が再起するまで、その期間を作り出すためにまとまったお金を常に持っておく必要がある。

書いていて何となく思った。僕にとっての貯金は、信用できない自分を補うためのセーフティーネットなんだろう。普通に社会で生きている彼らには必要のない安全帯である。貯金ばっかりして、安全帯をとにかく太く太くする。自分が落ちてしまったとき、なるべく痛い思いをしないように、お金を貯めこんでいるのだ。

もし僕が今日死んだら、260万円くらい残してある貯金をどう思うだろう? 普通の人にとってその金額は少なく感じられるかもしれないけれど、僕にとっては超大金だ。貯めるのに何年もかかっている。それが自らの死によって失われたら?

「ああ、もったいないことをした」なんて決して思わない。その貯金は使われない方が幸せなお金だからだ。むしろ、「スコア260万円か、まぁまぁ、上出来じゃないか」なんて見当違いな感想を抱いて意識を薄れさせていくような気がする。だってそのお金は頭がおかしくなってしまったときに使うお金なのだ。使われなかったならそれでいいじゃないか。セーフティーネットは落ちてしまったときに機能するものだ。使われないにこしたことはないのだ。

友人「で、どうなんだ? もったいないと思うのか?」
ぼく「スコア260万か、いいじゃんいいじゃん、と思うだろうね」
友人「何を言ってるんだお前は、ゲームじゃないんだからさ、はっはっは」
ぼく「はっはっは、そうだね、はっはっは」

パスタは955円だった。1000円札を友人に渡して、友人が会計を済ませると、僕たちは店を出た。

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