僕は人に苦情を言わないし、怒らない。後輩を叱らない。嫌な店にクレームもいれない。
その代わり、嫌なことをしてきた人間との関係はなるべく遮断する。嫌なことをしてきた店は二度と使わない。
僕は人格形成があまりよくできなかったのか、人を育てるという意識が全くない。どうせ育てても、自分にメリットがないだろうという、非常に自己中心的な意識を持っている。
そして、それは相手が嫌いだったり、相手が敵だったりするのであればなおさらである。
相手を叱ったり、怒ったり、苦情を入れたりするのは、相手の成長につながってしまう。僕はそう考えている。
相手のことを「よりよく」変えたいからこそ。相手が自分の思うように変わってほしい、変わってくれる、そうやって、相手に期待する。だからこそ、人間は怒るのだと思う。
僕は、お店で嫌なサービスを受けたりしたり、オンライン上で嫌な人に会ったりすると、すぐさま関係を遮断しようとする。
その嫌なことに二度とかかわらないよう、しっかり関係を遮断し、二度とかかわらないように頑張る。
なるべく怒らない。僕が苦情をいったら、僕の苦情を取り入れて、相手が成長してしまうかもしれない。嫌なやつが成長するのは不快だ。だから怒らない。そのまま人を不快にさせ続ける人間でいてくれ、そう願う。僕が嫌っているあなたは、どうかそのまま、低レベルなまま、周りや社会に迷惑を振りまき続けてくれ。
とにかく、僕は自分のことを不快にした人間とか、お店とかには、苦情を入れたことはないし、これからも絶対に苦情を入れたくない。僕のことを不快にするやつは敵だ。敵に塩は送らない。
これは僕だけではなく、だれでも使える汎用性の高い、素晴らしい考えなので、一つ共有してみよう。
話が通じない人間、身近にけっこういるはずだ。めんどくさいけど、ちゃんと対応しないといけない。ストレスがたまる。実に嫌なものだ。
どうしてわかってくれないんだ、こいつは馬鹿なのか、何を考えているんだ、そういう上司や部下、客、取引先、いくらでも思いつく。
仕事のストレスは人生において大きな問題だ。対人関係の問題を抱えていると、非常に、精神に負担がかかる。
いやなあの人が怒っている。
「どうしてこんなこともできないんだ? 前にちゃんと教えていたはずだろう?」
ああ、確かに教わったが、一回じゃできないよ。もっと言い方ってものがあるだろう、うるさいなあ。もっとまともな言い方はできないのか?
ここで重要なのは、この一文だけでも、相手に対して、
1.君はもっと静かにできるはずだよ!
2.君はもっとまともな物言いができるはずだよ!
なんと、不満の中にこんなに期待が込められているのだ。相手に期待するからこそ、不満が出るのだ。
さて、僕からの提案ではあるが、相手のことを犬だと思ってしまおう。
犬に日本語を喋らせることができるだろうか? できない。なぜか、それは犬は犬だからだ。犬はかわいいね。
さて、静かにする、まともな物言いができる、そんな高等技能が犬にできるのだろうか? いや、できない。犬だからだ。
相手のことを犬だと思ってしまえば、相手に期待しなくなる。ほら、相手だって頑張ってるじゃないか。日本語をしゃべってる。すごい。それ以上を期待するなんて酷なものだ。You speak nice Japanese.
それじゃあ、さっきの言葉を直してもう一回読んでみよう。
犬:「ワンワン ワワン ワン ワワワン」
いやー、かわいいですね。犬はかわいいなあ。
一回で言われてできない僕もまた、犬である。
上司「どうしてこんなこともできないんだ? 前にちゃんと教えていたはずだろう?」
ぼく「ワンワン ワワン ワン ワワワン クゥーンwwww」
人に期待しないなら自分にも期待しないようにしよう! しまじろうとのお約束だよ!
そもそも働いていない人間が心配することではないが、こういう考え方を持っていると、僕は子どもを作るべきではないんだろうなあと思っている。
僕も、あなたもそうだったように、子どもは親にたくさんの迷惑をかけて育つ。そういう風にできている。そういう仕様。
僕が、自分の子どもと接するなかで、たくさん不快に感じることがあるだろう。その中で、もしも、子どもが、敵に見えてしまったら。それは、生まれてくる子どもがかわいそうだなあと、そう思ってしまう。
また、もしうまく育っていってくれたとしても、僕と同じような思考回路をもって生まれた子どもは、社会でうまくやっていけないことに間違いない。それもかわいそうだ。
余計な心配ではあるが、子どもを作らないようにがんばろう。子どもは親を選べない。かわいそうな子どもが一人生まれないためにも。
余談
こういう変な考えを持っているから、会社でうまくいかないですぐやめてしまうんだと思う。ちゃんとやってるつもりなんだけどなあ。たぶん、態度に出ちゃっているんだろうなあ。子どものころは真面目だって言われてたのに。
僕が社会でやっていくには、社会に適さない考えを矯正しなければいけない。こんな性格では社会でやっていけない。
この記事を1年後読み返したとき、うわー、黒歴史だ! と思って、記事を削除できれば僕の大勝利である。一年後の僕が、社会に適合できるように成長していることを願う。
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