お金を使わないと幸せじゃない。こう思ってる人、多いんじゃないのかなあと思う。
出張から帰る道、電車の乗り換えのため、雨に降られながら歩いていたら、セブンイレブンがピカピカと光っていた。おなかが空いていて、ふむ、からあげ棒でも買って、歩きながら食べたらさぞ幸せだろうなあと思った。
しかし、120円は大金である。僕はからあげ棒を買うことをあきらめた。さて、からあげ棒は手に入らなかったわけだが、僕は不幸なのだろうか? お金を使わなかったから、不幸なのだろうか?
そんなことはない。120円は将来的にからあげ棒を食べることができるお金だ。今の僕と未来の僕はつながっていて、今の僕がからあげを食べるのであれば、未来の僕はからあげを食べることができないし、その逆もしかりだ。
今の自分が大きく見えていて、将来の自分が小さく見えている人にこの考え方は理解しづらいかもしれないけれど、今の自分と将来の自分をできるだけ等価に見ることができれば、今食べようが、未来に食べようが、同じことなのだ。
眠いので何を言っているのかよくわからん。つまり、からあげ棒は未来の僕が食べるだろうから、今食べられなくてもなんの問題もないということである。
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