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ツイちゃん
twichan
群馬県前橋市在住、22歳の男性。
2021年1月にADHDと診断された。
障害者雇用で働きつつ、Youtubeとか投資とかいろいろやってます。

2021.08.22.いい日曜日ってなんだろう

いい日曜日ってなんだろう? それには悪い日曜日を考えるのが手っ取り早いと思う。

僕の中で悪い日曜日とはなんだろう?
前日にスマホを見て夜更かしをしてしまって、朝7時に起きて一日中寝不足で過ごす。ダラダラとベッドの上でスマホを見て過ごし、ときおりPCの前に座ってゲームを3時間くらいプレイする。「全然勝てないなあ」とイライラしてゲームを閉じ、気が付いたら太陽は落ちていて、今日も何もできなかったなあと後悔しながら寝る。これが悪い日曜日だ。

そう考えれば、今日はなかなかいい日曜日だったといえる。前日にネット小説を読みふけって、睡眠時間が6時間しかとれなかったのはマイナスポイントだが、漫画でわかる子供向けの資本論2冊と我が闘争を読んで、ネット小説も読み終えて、思い付きでPodcastのアカウントを開設し、犬にブラッシングをして、部屋をきれいに掃除し、ダンアリエリーの本も4割くらい読み進めることができた。さらに30分のその場で行うランニングも。なかなかしっかり休日をエンジョイできたのではないだろうか。だから、今日はいい日曜日だった。

ただ、どうなんだろう? 活動量が多い=良い日曜日なんだろうか? なんとなく、忙しくして、意識が高そうなことをやって、その量が多ければ良い日曜日と判断するのは、少しだけ危険な気もする。いや、そうだろうか? ぜんぜんオッケーだ。意識が高いことはするべきだし、意識がないことをしないことが大事だ。

僕は無意識での行動をあまりよく思っていない。マインドフルネス、今この瞬間に集中している時間をなるべく増やした方がいいと思っている。具体的に集中できている行動をあげるとすれば、

  • よく眠る、昼寝する
  • ランニング
  • 瞑想
  • 映画を見る
  • 読書する
  • 仕事の勉強
  • ノートを取りながらYoutubeを見る
  • ノートを取りながらネットで調べ物
  • 小説を読む
  • ブログを書く
  • Twitterでツイートする
  • Youtubeの動画を撮る・編集する
  • 友人と食事に行く
  • 家族とご飯を食べる
  • 掃除する

こんな感じだろうか。こういった行動は、雑念を持たず、目の前に集中していないとできない。
逆に、無意識の行動、集中できていない行動は、

  • 目的もなくスマホを触っている
  • Youtubeのおすすめ動画を見る
  • ネットサーフィン
  • Twitterをダラダラ見る
  • Youtubeをダラダラ見る
  • テレビをダラダラ見る

といった行動、これが集中できていない行動だと思っている。これらをやってしまうと、たいして知識は身につかないのに、脳にはひたすら情報のシャワーが浴びせられて疲れてしまう。そしていずれも依存性があるもので、行動に対する報酬がすぐに与えられるから、ただでさえ少ない僕の集中力はどんどん落ちてしまい、意識の高い行動がより遠のいてしまうのだ。

いい日曜日とは、集中できている行動をとった時間がなるべく長いことを条件だと思う。

さて話を変えよう。冒頭で述べたが、ポッドキャストのサービスにいろいろ登録してみた。ひたすらアカウントを作りまくった。たしか5個くらい作ったんじゃないのかなあと思う。このブログは25分縛りで書いているのだが、これを書き終えた後、これを読み上げる一発録りのポッドキャストを作って、それを投稿したら文章を読む練習になるんじゃないのかなあと思ったからだ。

誰かが、これからは音声の時代だといった気がする。いろいろなコンテンツがあふれかえって、スマートフォンの画面はもう余白がなくなってしまった。月額500円払えばたくさんのアニメが見られるAmazon Prime、依存性をとにかく高めたYoutubeにTwitter、インスタグラム。その他たくさんのサービスがスクリーンを占領しているのだから、これからはそんなスキマに聴ける音声が伸びるよ、という主張だったはずだ。

実のところ、僕はポッドキャストをぜんぜん聞かない。ラジオも使う文化を持っていない。だからポッドキャストをやる同期は内容に感じるのだけれど、これから音声の時代がくるのであれば、音声メディアの使い方は覚えておいて損はないだろう。誰かが唐突に、「俺ポッドキャスト始めたいんだよねえ」といったときに、手伝うことができればおもしろい。

ついでに、ナレーションの練習もしたいというのもある。会社でたまに動画編集をやらせてもらうのだけれど、その際のナレーションは僕が行っている。さすがに家で何の訓練もせずに仕事をさせてもらうというのは申し訳ないから、毎日ちょっとした文章を読み続けて、それをネット上に公開していけば、そのうち文章を読む技量も上がるのではないかという算段だ。

ということでポッドキャスト始めてみる。とりあえずAuthor(アウターって読むのか?)とApple、Google、Spotifyに登録してみた。毎日このブログを25分で書いた後、一発で録音してそれを投稿する。やってみるだけ、やってみよう。

まだ書く時間があるから、今日読んだ本の話でもしようか。いや、違う、ある本のAmazonのレビューをふと思い出した、それを書かせてほしい。橘玲という人が書いた、人生無理ゲー時代?(タイトル違うかも)という本のAmazonレビュー。自分の能力は環境だけではなく、遺伝要因で多くが決まってしまうというところを抜粋したレビューがあった。それを見て、こんなことを思った。

自己責任論というのがある。あの人が仕事についていないのは、ちゃんとできていないのは、その他悪い結果を背負っているのは、あの人がかつて努力をしなかったせいだという考え方だ。たしかに一見正しそうに見えるが、そのレビューを見た後だと、「努力しなかったんじゃなくて、努力しようと思うことすらできなかったんじゃないのか」と思えてしまう。

遺伝によってうまくいかない人がいるという考え方を身に着ければ、弱者に対してもっと優しくなれるのではないかと思う。努力不足という言葉は、その人を批判するニュアンスしか含んでいないけれど、この人はうまれつき努力するのが苦手な体質だったのだという言葉に変えれば、「なるほどなあ、かわいそうに、努力できない体質だったなんて。自分は努力しようと思える体に生まれてよかった、彼の分も自分が頑張ろう」といった発想になるんじゃないのかと。

うーん、このあたりをうまくまとめるのは難しい。自分の思考力では手に余る問題だ。でも、自分のうまくいったことが、自分が努力したからで、他人のうまくいっていないことは、他人が努力しなかったからという考え方は、持たないように気を付けたいと思う。僕は今、幸せに生きている。でも、それは決して僕の努力の成果じゃない。雇ってくれた雇い主がいて、職場で支えてくれる人がいて、家で助けてくれる家族がいて、おかしなことを言ってもおかしなことを言い返してくれる友人がいて、たまたま社会福祉が整った日本に生まれ、その他大量の周りの助力によって、僕は幸せに生きている。

こんな幸せ者が、幸せじゃない人に向かって、「あなたは努力しなかったからこうなったんだ」なんて言えるだろうか? いや、言えない。そんなこと、口が裂けても言えない。

かといって、僕は幸せじゃない人を助けることはできない。作詞少女というライトノベルにこんなことが書いてあった。「お前が善人なら、全財産を今すぐ寄付しろ。できないのなら、お前は悪人だ。偽善者め」今でもこの言葉は覚えている。そして僕は善人じゃないから全財産を寄付なんて絶対にしない。だって自分のお金が大切なんだから。

まとめの言葉が思いつかないので終わり。25分間しっかり集中できてよかった。明日も頑張ろう。

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