
サルやゴリラなど、霊長類の研究をしてきた京大のめちゃくちゃ偉い人が書いた本。
ゴリラ視点(本当に、びっくりするほどゴリラ視点)から現代社会を見ている。
個人的な点数:☆☆
- むずかしさ・☆☆
- 共感度合い・☆
- おもしろさ・☆☆☆
- 参考度合い・☆☆
- 総合的な点・☆☆
京大の一番偉い人、つまり頭がいい人が書いた本なので、どうかなあと思っていたが、僕でもわかりやすい文体でスラスラ読むことができた。
ゴリラ視点から語られるスマホ依存について読んでみたいなあと思い図書館から借りてきたのだが、ゴリラの話の割合が多く、スマホ依存に関するところが少なかったので参考度合いを減らした。
それでも、僕でもわかりやすい文体で、ゴリラの文化を読むことができるのがおもしろい。ゴリラのことが気になったら、この人の本を読めばいいのだろう。
おそらく、他の本でもっとゴリラのことが詳しく解説されているはずだ。この人の本から、スマホ依存じゃなくて、ゴリラのことを読みたい。
スマホを捨てたい子どもたち 野生に学ぶ「未知の時代」の生き方について
- 著者:山極寿一
- 出版社:ポプラ新書
- 初版:2020年06月08日
山極寿一(やまぎわじゅいち)さんについて
1952年生まれ。ゴリラ研究の第一人者。京都大学学長。人物学と生物学が専門。
感想
思ったことを並べる。
人間は150人としかつながるようにできていない
SNSでたくさんの人とつながりを維持できているのは錯覚である。
ロビン・ダンバー(イギリスの人類学者)は、「人間以外の霊長類は、形成する集団サイズ(群れ)が大きければ大きいほど大脳新皮質(記憶などを司る)の割合が大きいこと」を明らかにした。
かつての人間が狩猟民族だったころは、150人程度のコミュニティで行動していた。当時の脳の大きさと今の脳の大きさは変わらない。
つまり、狩猟民族であった人間と、スマートフォンを楽しむ人間の、つながることができる人数は変わっていない。
スマートフォンの普及により、私たち人間はたくさんの人間とつながれるようになったと思い込んでいる。
スマートフォンを持ったからといって、脳のスペックは増えていない。軽自動車でモンスターマシン溢れるレースに出場することはできない。
言葉は情報量が圧縮されている
しかし、文字は読み手本位のコミュニケーションツールであって、対話ではありません。書いた人はその場にいないので、読み手の勝手な解釈が許されます。読み手本位であるために、ときに誤解を生んで書き手が思ってもいなかった結論になったりします。
スマホを捨てたい子どもたち 野生に学ぶ「未知の時代」の生き方 102Pより
私たちは、感じたものを言葉に変換することによって情報を圧縮している。
言葉は万能に感じているかもしれないが、それは誤解である。下の文字を見てほしい。
- 赤■
- 赤■
- 赤■
- 赤■
上の色を見たとき、「これは赤い色だなあ」と思う。
私たちは、上の1,2,3,4の全ての色を、誰かに説明するとき、「赤い」と言う。
でもすべての色は微妙に違う。これらはたしかに赤い色だが、この色の違いを私たちは説明することができない。
つまり、「赤い文字を見た」という視覚の情報が、「赤い」という自分が話す言葉に変換されたとき、視覚情報に変換ロスが生じているといえる。
視覚で得た情報を言葉に変換するとき、私たちは情報量を圧縮している。
たかが色を例えるだけでもそうなのだから、自分の思考・感情、思ったことを言葉にするのはさらに難易度が高い。
ゴリラの世界では、言葉が存在しない。それでも意思疎通は行われている。言葉がなくても、鳴き声やジェスチャー、つまり言葉以外の要素で伝わる。
人間の現実世界では、言葉+言葉以外の要素でコミュニケーションが行われている。
言葉以外に、表情、しぐさ、目の動きなど、上げてもあげてもキリがない。現実世界では、言葉以外に、たくさんの情報量がやり取りされている。
SNSやテキストメッセージでは、言葉以外の情報が全てそぎ落とされる。
膨大な情報をそぎ落としてしまえば、伝わるものも伝わらない。
LINEでも、Twitterでも、文字だけのやり取りは気を付けなければいけない。
スマホ・ラマダンのすすめ
スマホ・ラマダン。スマホ断食が勧められている。
そもそもラマダンとは、ムスリムの断食のこと。日の出から日没まで一切の飲食を断つもの。
ムスリムは日の出から日没にかけて、一切の飲食を断つことにより、空腹や自己犠牲を経験し、飢えた人や平等への共感を育むことを重視する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%B3より
彼らの断食は、なんとなく楽しそうだからやっているのではなく、空腹や自己犠牲を経験し、飢えた人や平等への共感を育むことが目的となっている。
スマートフォンを断つと、おそらく、何かが飢える。それは承認欲求かもしれないし、社会とつながっていたい気持ちかもしれない。とにかく、自分の中で何かが足りない気持ちになるはずだ。
スマホはいったいどんな人間の欲に基づいているのか。スマホの有用性を知るためにも、一度それを断ってみることも必要だと思います。
スマホを捨てたい子どもたち 野生に学ぶ「未知の時代」の生き方 106Pより
スマートフォンが自分のどんな渇きを満たしているのか? いくらかの期間断ってみることで、その有用性を知ることができる。
しかし、完全にスマートフォンから離れる、スマホ・ラマダンは現代社会を生きる上で難易度が高い。
以前読んだ「デジタル・ミニマリスト」では、30日間の「デジタル片付け」が提唱されていた。
電話などの最低限の機能を残して、TwitterやYoutubeなどの、「必須ではない」サービスを断つというものだ。
まずは必須ではないアプリやサービスを、30日ほど使わないでみるということを試していくとわかりやすいはずだ。
おわりに
スマホ依存について読みたかったので、感想としてブログに書いたところがゴリラとかぶらなかった。
感想の中には書かなかったが、ゴリラとして生活した(本当に生活していてびっくりした)著者の視点から語られる現代社会の違和感は斬新だった。
スマホ依存のお話とは別に、ゴリラ視点の現代社会の観察は、とてもおもしろかった(かっこいい言葉を使うべきだが、おもしろかったとしか思いつかなかった)。ぜひ読んでみてほしい。
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